宮を清める
前回までの記事で「宮を汚す」というのがどういうことなのかを書きました。
今回はいよいよ、「宮を清める」というのがどういうことなのか
書きたいと思います。
イホシュアの宮きよめ
救い主イホシュア(イエス・キリストの本名)の「宮きよめ」と呼ばれるところがあります。
マタイ21:12~13に書かれているエピソードです。
これは、ハヌカの時期ではありません。
しかし、このエピソードを人々は特に「宮きよめ」と呼んでいます。
そこに描かれているイホシュアの姿は、柔和とは程遠く
怒り狂いながら、ムチをふるい
神殿に建てられたくだらない屋台(生贄用の動物を売っていた)や
両替商をひっくり返し、憤怒をあらわにしています。
マカバイも同じでした。
憤怒とともに、剣をふるい徹底して、エピファネスが汚したものを、破壊し
「神殿」にふさわしくないものを排除したのです。
神殿とは
宗教というものに対し、罪に対し、徹底して断固たる態度をとった、イホシュアとマカバイ。
しかし、これは、例えば、仏像を破壊せよとか、仏壇を捨てろ、という意味ではありません。
イホシュアは人としては「ユダヤ教徒」でした。
彼が破壊したのは、しかしながら、ユダヤ教という宗教活動の「実情」だったのです。
この破壊が象徴するのは、キリスト教を含むあらゆる宗教活動の排除です。
しかも、物理的な破壊行為を促しているのではありません。
前の記事でも述べましたが、聖書において
歴史はらせん状に関連しながら連続していくのです。
「神殿」とは、私たち、神の民個人のことです。
私たちの魂こそが、まず神の第一神殿であり、
私たちの心こそが、第二神殿
そして、私たちの体が第三神殿です。
このことと黙示録との関係についてはいずれまた書きましょう。
神が「神殿」を受け取られるということ・・・
しかし、ハヌカとは、神殿の中にあるあらゆる「偶像」「宗教性」そして罪に対して、憤怒で対処し、破壊しそうやって清められた「神殿」を
もう一度、神にお捧げする、そんな祭です。
このクリスチャンのヘレニズムによって、勝手に「無価値」とされたハヌカの時
神は現代に生きる私たちに課題を投げかけているのです。
私たちに、ハヌカは必要ないですか?
いいえ、神が直接お命じになっていないにしても、ハヌカの祭に託された預言は
生きています。
私たちは私たちという「神殿」を清めて、神にささげなくてはなりません。
神は、必ず受け取ってくださいます。
そうした神殿こそが、御国の基礎なんです。
ささげられた神殿を神は豊かに用いて下さり
私たちを通してご栄光を示してくださるのです。
ハヌカに思うメシアの民 3
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