2019年10月3日木曜日

Candle light or burning fire

15-16 あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです。
 15 Neither do people light a lamp and put it under a bowl. Instead they put it on its stand, and it gives light to everyone in the house. 16 In the same way, let your light shine before others, that they may see your good deeds and glorify your Father in heaven.
Matt 5:15-16

Some people do not appreciate the candle light.
We, people in Messiah, are candle light, not flash light or any electricity.
Electricity is the work of Saturn.
I do not deny the benefit of science and technology.
Elohim knows that I am a person of technology.
All technology and science came from Elohim.
It is nothing but the grace of Elohim.
But you have to know that so was Saturn.
He once was a beautiful and glorious prince of Elohim.
But he fell.
Even after he fell, he was in the membership of "Divine Children"
You can see that in Job 1:6
It is Elohim that allowed Saturn to test Job.
Saturn is the "misinterpretation"  "misunderstanding" and
"opposition"

People think they don't need candle light though they know candle light heals human soul more.
But in the time of crises, they cling on the candle light.
I experienced a big earthquake in Kobe, Japan.
At that time, people realized how easily technology can fail.
But with a little candle....
we were warmed,
we could cook,
we could ensure that we had each other.
I remember very well, that the light of flashlight brought nothing but more fear making darkness even darker while the candle light comforted us.

I hear many times, people say "We don't need religion"
They think "ELOHIM" is a part of the religion and they can chose it according to their convenience.
First of all, ELOHIM the creator, our source of life, has nothing to do with any religions including Christianity.
He is the Truth.
Truth stands.  Truth is always there.
It is not something you can chose as you chose your ice-cream flavor.
We like it or not, ELOHIM EXISTS.
They think they don't need ELOHIM because they are good persons and having an OK life.
How hopeless that is!

I saw on TV a drama of two successful men that hate each other.
They both had a very similar habit.  They both practice daily mindfulness watching the candle light on smart phone app for 10 minutes.
It seems like the most of the successful leaders practice daily mindfulness.
The recent research reports us the great benefit of mindfulness.
But most of the people think that it is waste of time to look into the candle light.

We, people of Messiah, are candle light.
We do righteousness not really always likable to the people.

10 children were racing on the bicycle and hit 4 year old child few days ago in my neighborhood.  They tried to go away without making any apologies and they even said "the accident is both side responsibility"
The victim was my friend's daughter and fortunately the injure was not serious.
I called the local school and requested a strict instruction to those children but the problem was I didn't know who they were.
School also took it very serious because they knew that the bicycle race had been a kind of tradition among children.  They had been getting the same kind of reports for long time.  I suggested the school to act while the damage is not severe.
The school gathered the children immediately and suggested them to come forth.
But no one did.  The school really wanted to teach those who did that.
It is not to bully those kids, but it is for their sake.
So school asked me to introduce the victims to them.
I thought the mother of the child will collaborate willingly.
"Well.... the damage was not that serious and my older child is traumatized by the accident so I do not want to talk about that in front of the children anymore"
This is Japan.
They do not share the "Chance"
And, people criticized me as an arrogant person who peek my nose into somebody else's problem.
I get this always.
I prayed ELOHIM to give me a strength to stand firm.
"Please do not go through the test because I just followed your word.
I tried to light up as your candle light"
But in stead of comfort, He sent me the spirit of repentance.
The Holy Spirit made me look into myself with the candle light,
I saw a "revenge" and "greed to show myself off doing right thing"
Yes, I did the right thing and what I am saying is right.
But my intention was not totally pure.
A part of me wanted to take revenge against that school which bullied and cast off my son.  I wanted to teach them a lesson.  I wanted to make them understand how superior I was as a mother and as an educator.
I think that is why I could not heal my friend.
After all, it is me that let the Saturn win.
I was not a candle light, but was a burning fire that can burn the whole house.
I could have been a pain, again.

So what I asked  ABBA (the Father in heaven) was to pour his "Living Water" to "temperate" me.
I praise Yehushua the Messiah.


 

2019年4月23日火曜日

Where do we bring forth good things from?

I wrote an article about ELOHIM's message hidden in Hanzi Letters.
He Is surely the creator of whole universe.  I have no doubt.

Please jump to my other blog.
https://rei-munakata.blogspot.com/2019/04/where-do-we-bring-forth-good-things-from.html







2019年2月6日水曜日

己核の年

己亥年が明けました。
皆さまに祝福とご加護をお祈りいたします。

さて、私は徹底した旧暦主義ですが、
なぜメシアニック信徒である私が旧暦を守るのか・・・
というお話はまたの機会にして、この「己亥」という年に込められた、
神の預言を紐解いてみたいと思います。

己亥

十干においては、土の陰性の年であり、
「つちのと」は「田畑」転じて「あいまいさ」を表します。 
つまり、「己」というこの文字は、「田」を表しているのです。
「山」を表す、「戊(つちのえ)」は、山の形をかたどっていますから、
「おのれ」という文字でもある「己」も「田」の形からきているのです。
 「田」は「おのれ」なのです。
「田」は、「領地」つまり「勝手の及ぶ範囲」です。
まさにこの田畑こそが、法律の必要性を発生させ、
個の集合体を「社会」とならしめる起源となります。 
「思」という字は「田」の下に「心」と書きます。
つまり、「思う」という行為は「勝手」に「心」することです。
「車」という文字は、この「田」の横に車輪がついている乗り物です。
最近の子供たちは、「勝手の及ぶ範囲」から出ないで6年間も過ごして、
いきなり六年目にして、外に出され学校に行くわけですから、
電車のマナーや登下校の路上マナーが果たせないのも無理はありません。
 さて、「自由」という言葉があります。この言葉は、
福沢諭吉によって作られた言葉です。
アメリカに留学した福沢諭吉は「Free will」自由意志という言葉に出会いました。
そして、この言葉に相当する言葉が日本語になかったので、
これに「自らを由(よし)とする」を表す「自由」という言葉をわざわざ作って与えたのです。
 ここで、私たちが気付かなければならないのは「勝手」という言葉は、
すでに当時の日本に存在したということです。
しかし、福沢は「Free will」を「勝手」とは訳しませんでした。
それは、ひたすら、「Free will」と「勝手」はまったく異なるものだったからです。


 森羅万象を司る神は、この「己亥」の年にあって私たち全員に「己を省みよ」と「己省」(自省ならぬ)を促しています。
 
 「自らを由とする」を考えてみます。
「由」という字は「理由」の「由」であり、「発端」「源」という意味です。
よくみれば「田」という字の真ん中の線が外に突き出ています。
田は自分の領域を表します。
「自由」とは「自分の領域範囲を発端として、外の世界に働きかける」という意味なんです。
つまり、この、外にはみ出た線を逆にたどれば、
どこの田から来た線なのかがわかるわけですから、この線の及ぼした結果に対して、
「田」つまり「己」が責任を取るということなんです。
「自由」とは、強い責任意識が伴う言葉です。
 
 「己亥」の「支」である「亥」を見ると、さらに思考が深まります。
「己」については後にまたまとめるとして、十二支の「亥」の象意を考えます。
 十二支が動物とは無関係であることは、日本でもご存知の方はいらっしゃいますが、
十二支に充てられている文字が「欠け文字」であることを知る人があまりにも少なく、
とても残念です。十二支の文字はそれぞれ、なにかの「部首」が欠けているのです。
 例えば、「寅」。これは、もともと「演」という字で、「さんずいへん」が欠けています。
辰は「震」です。では、今年の「亥」は、「核」という字です。
この「核」という字を英語で表すと、「コア」という言葉になります。
エネルギーの源です。
細胞はこの「核」こそ「命の正体」ですし、木の核は、そこからどんどん年輪が広がっていくのです。

 私がそこに見るのは、壮大な神のマンダラです。

 十二支は、「生命」の成り立ちを表しています。
 最初の「子」という文字は、日本にはない字で「慈悲」の「慈」という文字の上部を冠として、
「子」という文字を書きますが、
人の生命に関して言うと、「母親」の胎内で生命が発展していく様子を表しています。
 ひとたびこの世に生まれ出た瞬間から、
 この「子」という文字につく部首が、人の一生で12年ごとに変わっていくものだと、私は考えます。
 そのために敢えて、欠けて伝えられているのだと確信しています。
 母親の胎内から出て、12年間は「仔」です。
「人の子」として基本的な人格形成を行う12年間。
そして、昔は初陣を迎えていた次の一巡たる12年間は
「学」という文字のステージを人は生きるのでしょう。
だから男子は十三参りを行う風習が与えられたではないでしょうか。
新たなサイクルを生きるにあたって、自分を神に奉納する必要性に、
古来の日本人は駆られていたのです。
実は、イスラエルにもそういう習慣があります。それについては、また今度・・・。
 
 「己」という文字は、「田」の真ん中の線だけが文字に関与していません。
「由」という文字は真ん中の線が強調されているのに、
「己」には真ん中の線はまったく登場しないのです。
 この文字をよく見ると、人が跪き、身をかがめて祈っている姿に見えます。
 「礼」という字の原型は「禮」と書きます。
 へんは「しめす - 示(神を表す)」つくりは「ゆたか - 豊(祭壇の上の団子)」です。
この「豊」が省略されているのがいまの「礼」という文字ですが、
これは、「神」に対して、まっすぐに顔を上げ跪いて祈る人の姿です。
豊かさとは、神に対してまっすぐに向かい合うことだという教えです。

 この様子にくらべ、「己」の様子は、
うずくまり、真ん中がなく、なんだか泣いているようにも見えます。
「自己の中心がない」つまり、自己中心的な要素ない「個」の表れなのです。
 「自」というのは、人の鼻を表す文字です。鼻は外にあります。対外的な「個」のことです。
しかし「己」とは、ひたすら自分の領域のなかで、それでも自己中心的な要素を取り払い、
うずくまっている「己」です。
 「己亥」の年というのは即ち・・・、
 「自己中心的な要素のない個の核」が成る年なのです。

 「万人、跪いて悔い改め、自己中心な行いのすべてを捨て去り、
           個の核たる真理に目を向けるようにせよ。」

そのように森羅万象を司る神が仰せなのだと、信じて受け止めております。

 漢字は、ホログラムです。
創造主たる神が、ご自身を証明するために、この漢字を通して預言しておられるのです。
(ちなみに「予言」と「預言」はちがいます。)
陰陽五行は陳腐な占いの道具ではありません。宇宙科学です。 
聖書に著されている「神」が生きて、この極東の地を創り出し、司り、
そして今もなお、支配しておられます。
 そして、その神は、「キリスト教」なる宗教では到底表わされていないと同時に、
ほぼ「キリスト教」という宗教とは無関係であると宣言します。
キリスト教は、キリストとはまったく無関係な人間によって人間哲学を基に作られました。
それなのに「キリスト」を名を担ぎ、キリストの名をゆがめ、今でもキリストを辱めています。
みなさんが「教会」と呼ぶもの・・・組織、人の集まり・・・
それらは二千年の時を超えて行われている詐欺であり、
キリストの体たる「エクレシア(信徒のあつまり)」ではありません。
現に、キリストは天国への門を「狭き門」と呼びました。
14万人しか救われないはずなんです。
でも、現代のキリスト教という宗教を見てみてください。
広すぎる門ですし、14万人の1000倍はいるでしょう。「キリスト教徒」って・・・。

 私はありとあらゆる「宗教」を拒みます。
 それが神のご命令だからです。聖書にそう書かれていますもの・・・。

 私の「核」は神たるキリストです。
 そしてキリストの名は「イホシュア」です。
インマヌエル、神が生きて
私たちと共にあります。
うずくまる私とともに、イホシュアは在ります。

2019年1月22日火曜日

羊飼いか肉屋か ヨナタン・カーン師の説教

今回はメシアニック・ラビ  ヨナタン・カーン師による説教を翻訳します。
素晴らしい説教です。

カーン師ウェブサイトにおける原文

翻訳開始>>>
「羊飼いか肉屋か」

あるイスラエルのツアーガイドが、観光客のグループに語りました。
「中東の羊飼いは、決して羊の群れを後ろから追ったりしません。必ず前に立って率いるのです。」
面白いことに、ちょうどその時、その観光客の目の前で、男が羊の群れを後ろから追いながら通り過ぎようとしていました。ツアーガイドは男に尋ねました。「いったいどうして、後ろから群れを追っているんだね?羊飼いは先頭で率いるものでしょうに。」
すると、男は答えて言いました。「そのとおりでさ、旦那。ただ、私は羊飼いじゃなくて、肉屋なんですよ。羊飼いは率いて、肉屋は追うんでさ。」

あなたは、率いられていますか?それとも、追われていますか?
それが問題なんです。
あなたは、率いている羊飼いの声を聞いていますか、それとも、後ろから恐れ、不安、疑念を駆り立てる肉屋の声を聞いて従っていませんか?
恐れるのはもうやめましょう。主は私たちの羊飼いです。
主はあなたを駆り立てたり、追い立てたりしません。主は率いられるのです。
ただ、主についていきましょう。すると、主はあなたを率いて、あなたをゆるやかな水の流れのほとりに導いてくださいます。
詩篇23


翻訳終了>>

2019年1月17日木曜日

Tao to be a Messianic 3

When I was 8, I was bullied because of my ugly look.
I was a Christian.
I prayed everyday.  At that time, somehow, I was feeling some existences that were protecting me... I felt it very vividly.  Since I had no friends at all, I was always talking to that "someone".
And I remember that "someone" told me, "Don't believe what they say.  They have no idea what they are doing.  You are a princess of the purple hair.  You will be the bride of the King."  At that time, I said to that someone, "My hair is black not purple..."
One time, I was beaten again, and felt that someone was gone.  I was so sad and cried "Please come back!  Why have you forsaken me?"  I think I cried for 2 or 3 hours.

My mother put me in an English language school.  At that time, it still was a rare thing.  But I hated it.  It was twice a week routine.  For me, it was another addition of misery because I thought I was stupid.  Again, I had no self confidence.
And I was kind of right.  I was not good at English, at all.

After that several hours of crying, I felt very light.  I turned on the TV and watched a program.  And in that program, there was a scenery that showed an English letter as "BABY"... and I pronounced that vocally right there.
I could read "BABY" and I felt, "I can speak English"
Since that day, I speak fluent English.

2018年12月20日木曜日

主のお友達になる 1

このカテゴリーでは、わがエクレシアの小さな子供たち向けの礼拝のレジュメをご紹介します。

主のお友達になる 
~ニコデモの物語~

<先週の聖句を暗唱します>

ルカ1:38 Luke1:38
わたしは主のしもべです。おことばどおり、この身がなりますように。
I am the LORD’S servant.  May Your Words be fulfilled to me.

ベレシート ~まずはじめに~


 イホシュア様がこの地上にあられたとき、いっぱい、不思議なことをなさいました。
 - 病気の人を治したり
 - 死んだ人をよみがえらせたり
 - お水をワインに変えたり
 こんなにもたくさんの「不思議」を見て、たくさんの人がイホシュア様のファンになって
 「私も治してください!」
 「もっと見せてください!」と・・・
 お願い事や、なんかすごいことを見たい気持ちを、心に持ってイホシュア様を追いかけまわしていたんだね・・・イホシュア様は「スーパースター」だったんだよ。
 その人たちの中で本当にイホシュア様を信じていた人はとても少なくて、イホシュア様の本当の「お友達」になった人はもっと少ないのです。
 ペテロやヨハネなどのお弟子さんたちは、もちろんイホシュア様のお友達だよ。
 今日の安息日礼拝から二回の安息日において、その「イホシュア様のお友達」の中で、ニコデモさんという男の人について、光の子供たちはお勉強しましょう。

ヨム・アレフ 第一日目

<心を合わせてお祈りします>

 見えないところで、僕たち、わたしたちを愛して見守ってくださる
 やさしいアバ
 あなたはみんなの、お父様です。
 お誕生日のたびに、大きくなる子供たちですが、
 そのたびに聖霊様が私たちの心に触ってくださって
 賢く、優しく育ててくださいますから
 感謝します。
 すべてのものを、創造された、素晴らしい神様
 強くて、なんでもできる神様・・・
 そんなあなたの「お友達」に、こんな小さな僕たち、わたしたちがなれるのでしょうか?
 まだ小さくてそのことがよくわかりませんが
 あなたの前で、ちゃんとお座りしてお話を聞けるように
 そして、あなたのことがよくわかるように
 聖霊様助けてください。
 イホシュア様のお名前によって、お祈りいたします。

1.ニコデモさん、イホシュア様に会いに行く。


聖書箇所 ヨハネ3:1~15
(「1年をとおしてよむ せいしょ 」350ページ)
 ある、夜のことです・・・
 ニコデモという男の人がイホシュア様を訪ねてきました。
 イホシュア様がなさるたくさんの奇跡のことを知っていたので
 イホシュア様が神のもとから来られた『先生』であると思ったのです。
 ニコデモはイホシュア様に言いました。
 「神様が共にいらっしゃらなかったら、あなたがなさるようなことは
 できるわけがないからです。」
 ニコデモさんは、こっそりと、『先生』であるイホシュア様に
 教えてもらいに来たのです。
 ところがイホシュア様はおっしゃいました。
 「人は、新しく生まれ変わらなかったら、神様の国をみることはできないのですよ。」
 ニコデモさんは、びっくりして言いました。
 「私は、もう年を取っています。どうやってお母さんのお腹にもどって
 赤ちゃんとして生まれてくることができましょう?」
 イホシュア様はそれでもやはり、こうおっしゃいました。
 「人は誰でも、水と霊によって生まれ変わらなければ神の国に入ることはできない。」
 ニコデモさんはやっぱり、わかりません。
 神様の国に入るには
 たくさん献金するとか、お勉強をいっぱいするとか、断食をする・・・とか
 そういう方法を教えてもらえると思ったのに、
 「水と霊で生まれ変わる」としか教えてくれません。
 「私がこの地上でたくさんの奇跡を行って、
 あなたたち人間のことを教えているのに、
 あなたたちはそれでも、信じません。
 私は天の御国から来たので、御国を見て知っています。
 だから、見たこと、知っていることを話しているのに
 やはりあなたたちは信じません。
 地上のことを語っても信じない人たちに、
 あなたたちが知ることもできない、天上のことを語ったところで
 やはり、あなたたちは信じないのです。」
 イホシュア様は、ニコデモさんにさらに言います。
 「モーセが荒野にいたときに、青銅の蛇を掲げて
 イスラエルの人々が神の力を信じたように
 人の子も掲げられなくては、いけないのです。」

2.ニコデモさんってどんな人?

 ヨハネの福音書3章の1節に、こう書いてあるよ、
さて、ファリサイ派に属するニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

 そして、4節には
年を取った者が、どうして生まれ変わることができましょう。

 ニコデモさんは、エリート中のエリートで、えらい議員さんなんですね。
 そして、年をとったおじいさんでもあります。

3.夜の訪問の意味

 どうして、ニコデモさんは夜にイホシュア様を訪問したのでしょう?
 おじいさんだから、夜よりも昼間歩いたほうがいいよね。
 昔昔だから、町の電気もなくて、夜は本当に真っ暗です。
 ニコデモさんは、えらい議員さんで、エリートの先生だから、夜だったんです。
 イホシュア様が奇跡を起こすのを見て
 神様が共におられるお方だと信じていたから会いにいき
 御国のことを教えてもらいたかったのだけど
 人に見られるのが恥ずかしかったんだね。

4.「しもべ」と「ともだち」の違い

 みんな、先週の聖句で、マリアさんの姿を通して、私たちみんなが
 神様の「しもべ」なんだってことを、告白したよね。
 私たちはみんな、神様の御心に従うしもべなんだよ。
 じゃあ、「しもべ」ってなんだろう・・・・

 「しもべ」とは
 「しもべ」は英語でServant だよ。
 Servantは「サービス」Serviceをするという人ということ。
 
  1. どれだけ働くかが一番のポイント(「働き」が重視される)Servants are demanded to serve.
  2. ご主人様に対して口答えをせず、なんでも言うことを聞く。(「忠実さ」の要求)Servants are requested to be royal.

 「ともだち」とは
 「ともだち」は英語でFriend だね。
  1. 一緒にいようとすることが一番のポイント(「関わり」が重視される)Friends care about each other.
  2. 仲良しでいたいと思う。(「親しさ」の要求) Friends need to be good for each other.
  
 むかし、RMのお友達で、こんな子がいたよ。その子を仮に、K君としよう。
 ある日、RMともう一人のお友達が、K君といっしょに帰ってきたんだけど、
 手に雑草を握って帰ってきました。
 どうして、雑草を握っているのか聞いてみたら、
 K君が「雑草もたないと、お友達やめるから。俺のお友達でいたかったら雑草を持て」
 と言ってきたのです。
 二人はしぶしぶ、雑草を握りしめて帰ってきました。
 数日後、RMのけたたましい鳴き声が近所に響いて、驚いて見に行くと、
 K君が同じ理由で、耳の中に雑草を突っ込むように指示してきたそうです。
 「俺も一度したけど、気持ちよかったから、やれ」とその子は命じてきたそうです。
 RMは耳の雑草がとれなくなり、痛みで泣いていたんだね。
 結局、耳鼻科に駆け込んで、取ってもらったけど、鼓膜が破れていたら、
 大変なことになっていたよ。

 さて、これはお友達だろうか?
 ちがうよね、K君はRMに「しもべ」であることを要求してきたんだね。
 このことは、みんなよく覚えてほしいことなんだけど、
 君たちを「しもべ」にできるのは、天の神様ただお一方だけだよ。
 それ以外、誰一人として、君たちを「しもべ」にはできないんだよ。
 どうして、天の神様なら君たちを「しもべ」にできるか・・・それは、神様がなんでもできるお力をもっていらっしゃりながら、君たちのことをとても、とても愛してくださっているからなんだよ。その証拠に、十字架にかかって死んでくださったでしょ?
 K君はRMのために、死んでくれるかな?

お友達は・・・
①相手を自分の思い通りにしようとはしない。~~~相手のしたいことや気持ちを大切にして、いつもそのことを考えるよ。
②お互いに、お互いが「どうやったら喜ぶかな・・・」と思いながらいっしょに遊ぶよ。

 英語で書いたところをもう一度見てごらん、”each other”って書いてあるでしょう?
 お互いに・・・っていう意味だよ。
 おともだち、って、一人がいいことをしたら、もう一人も相手のためにいいことをしてあげるってことなんだね。

さぁ、では来週は、ニコデモさんとイホシュア様がお友達になったか、その方法を学んでいくよ。

<心を合わせてお祈りします>


大好きなアバ。天で僕たち私たちのことを、今日のこの学びの間も
休むことなく見てくださっていることを
感謝します。
今、お友達のことを思います。
いつも、当たり前のようにいっしょに遊んだりしていますが、
時々、自分のしたいこと、言いたいことだけを大切にしてしまって
お友達のことを考えないでいることがあります。
悔い改めます。
お友達が喜んでくれることを、喜べるそんな子供にしてください。
イホシュア様のお名前によって祈ります。


<今週と来週の聖句>

ヨハネ3:16
神はそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。ひとり子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
John 3:16

For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.